墓所

大正時代の墓の様子 内藤家墓地は天文年中(1532~55)に芦谷村字築地(現在芦谷字東山)に創設された。当時、面積は四畝歩余(120坪)であった。
 その後、360有余相続されてきたが、大正3年(1914)、耕地整理区域のため、芦谷字鍛冶山に移転改葬となった。面積は56坪となる。
 その後、平成に入り、敷地が都市計画道路敷地となったため、平成9年(1997)春、再移転改葬となったものである。現在の面積は60坪余である。
 墓地内には乳母まつの墓と顕彰碑と、芦谷村の旗本七代のほか芦谷内藤家累代の墓が整然と配置されている。

 

墓地配置図